〜後悔の同義語は退屈である〜

お笑い界の神様。松本人志がこんなことを言っていました。
「人生は普通に生きたらつまらんものです。普通じゃない人生にしたかったんでお笑いやってます」と。

たしかにそうなんですよね。

普通っておもしろいか?

おそらくここにいるメンバーはそういった事に違和感を感じられる感性を
もっていると思います。が、きっとどこかで「人と違う必要があるのかな?」
「なぜ人と違うべきなんだろうか?」とも思っている人もいるんじゃないかなと思います。

世の中が、自分らしくとか、やりたいことやろうとか、夢を叶えようとか騒ぎすぎていて逆に、いや普通でいいじゃん。と思っている可能性もあると思います。

実は俺は全然それでいいと思っています。
全員が個性出す必要はないし、自分らしさを追求する必要も実はないと思っています。

ただ、一つだけやって欲しいことがあります。

それは、

「普通の基準を上げること」

これだけです。

これが意識できれば人生の質は圧倒的に上がります。人間性もあがります。
器も間違いなく大きくなります。

ご飯の前は「いただきます」悪いことしたら「ごめんなさい」
この普通の基準をあげていって欲しいのです。
そこにはこだわって欲しい。それができれば、個性なんか意識しなくても
100%周りから抜きでます。素敵な大人にみられます。
そこへの執念は絶やさないで欲しいです。

暇な時間、だらける時間、退屈な時間、
これが普通になれば、待っているのは100%の後悔だと思います。
それだけはしてはいけない。後悔を普通とよんではいけない。

自分の普通を基準高く持ちなさい。

ともに創る質の高い人生を楽しみにしています。